一九九二年夏、私はそれまで勤めていた大和証券を退社し、米国ユタ州に家族とともに渡った。ブリガムヤング大学─ユタ大学共同国際ビジネス教育研究センターの講師として招聘されたのがきっかけだった。同センターはビジネススクールにおける国際ビジネス教育の強化を図ることを目的として、米国文部省が全米約三十の大学に設立したセンターの一つで、私は主にMBAの学生を対象に国際ビジネスのクラスで教鞭をとるほか、さまざまな国際ビジネス教育プログラムの企画、運営に携わることになった。プログラムの性質上、教育者ではなく国際ビジネスの実務経験のある人間を探していたこと、それと同センターの設立に関わった教授がたまたま私の知り合いだったことなどから招聘されることになった。しかし大学側の計らいで、MBAで教えるかたわら、私自身もMBAの学生になるという非常に変則的な形での米国生活が始まった。

忙しいのには慣れていた私だったが、学生に戻るのは久しぶりで、すっかり勉強の仕方は忘れていたし、クラスの雰囲気も日本の大学とはかなり違っていた。いくら仕事で毎日英語を使っていたとはいえ、仕事も勉強も二四時間英語というは、さすがにきつかった。そんな私の都合には関係なく、MBAのカリキュラムはどんどん進んでいった。そして年が明けた九三年の冬の学期、私は三つのクラスをとったが、その一つがオペレーション(Operation=日本語では生産管理とでも呼ぶのだろうか)のクラスだった。日本では証券会社に勤務し、金融関連のことなら英語でもそこそこいける自信はあったが、このオペレーションにはまいった。在庫管理やらジャストインタイムといった話で、それまでの私にはまったく縁のない内容だった。講義は座って話を聞いているだけでも苦痛だった。テキストは他のクラス同様、非常に分厚く毎週何十ページも読まされうんざりしたが、それだけではなかった。副読本があったのだ。それが『ザ・ゴール』だった。
授業では直接扱わず、成績にも関係ないが、自分の時間で在学中に読み終えるようにというのが教授の指示で、学期末にその内容についてクラスで意見交換をするということだった。成績には関係ないなら読む必要もなかろう。それが、私の結論だった。いまでこそ告白できるが、結局その学期中に目を通したのは三五〇ページのうち最初の三十ページくらいだったと思う。結局、その本は冬の学期が終わってからすぐに本棚の隅っこに追いやられ、ホコリをかぶることになった。
それから数年たち、ある日、近くの本屋で時間をつぶしていると、見慣れた表紙が目に飛び込んできた。『ザ・ゴール』──例の本である。ああ、この本なら家にあるなと思いながら手に取ると、基本的な表紙のデザインは変わっていないのだが、「二〇〇万部突破」と書かれた赤文字のキャッチコピーが追加されていた。(現在では二五〇万部と突破)。私が持っている本にはそのようなことは確か記されていなかった。「二〇〇万部、それはすごいな。そんな有名な本だったのか。」とそのとき初めて、『ザ・ゴール』のすごさに気づいた。すでに渡米して何年も経ち、ビジネススクールも無事卒業していた私は時間的にも余裕ができ、そろそろ何かいい本でも読もうかと思っていた矢先だったから、ちょうどいいタイミングだった。私はこれを読むことに決めた。
家に帰った私は、早速本棚から同署を取り出した。すっかりホコリにまみれた姿を目にし、私は少しばかりの罪悪感を感じた。それは副読本をほとんど読まずして、そこそこの成績を取ったことを思い出しての罪悪感、それとこれだけの名著とは知らずに本棚の片隅に何年もの間追いやっていたことに対する罪悪感だった。その罪悪感を振り払うかのように、私は軽く濡れた雑巾でさっと本の周りについたホコリをふき取った。もとの姿にもどった本を手に、私はさっそく最初のページを開いた。それからは、まさに一気だった。そんな勢いで本を読んだことなど私の記憶にはなかった。もともと読書は好きなほうではなかったが、こんなに本を読むことが面白いと思ったことはなかった。
『ザ・ゴール』を読み終えた私は、雷にでも打たれたかのような衝撃を感じた。非常に教育的な内容であるにもかかわらず、話にどんどん吸い込まれていく。ストーリー展開も絶妙である。すぐさまもう一度読みたいという衝動に駆り立てられた。しかし、私は思った。「どうせもう一度読むなら、今度は日本語で読んでみたいものだ」と。こんなに有名な本ならば、きっと日本語版も出ているに違いないと思った私は、さっそこう表紙裏に記載されているノースリバー・プレス社に問い合わせた。日本の出版元を教えてもらおうと思ったからだ。しかし、電話に出た女性の返事は意外なものだった。日本語版はまだ出ていないというではないか。こみ上がっていた期待をすっかりはずされてしまった気分だったが、すぐさま私は思った。「こんなすばらしい本が日本でまだ紹介されていないのはおかしい。誰もやらないのであれば自分がやればいい」。
私は、もう一度ノースリバー社に電話をかけた。用件が用件なので、電話は社長のラリー・ガット氏につなげられた。私はこの本に対する印象をまず述べ、敬意を表すとともに、ぜひこの本を翻訳して日本に紹介したい旨を話した。私の熱意が伝わったのか、同氏は二つ返事で私にその作業を任せてくれることになった。私に任されたのは、まず原稿を日本語に翻訳すること、それと日本の出版社との交渉、契約であった。さっそく私は日本に飛び、大和証券時代の上司に紹介していただいたダイヤモンド社を訪れた。日本での出版社との交渉は時間がかかりてごわいものになるだろうとの予測に反し、同社の反応は驚くべきものだった。なんと初めて訪れたその日に、オファーを出してくれたのだ。そのとき、私はあらためて本書のすごさを痛感した。ほかにも何社か出版社の候補はあったが、ノースリバー・プレス社の意向もあり、結局ダイヤモンド社に決まった。私にしてみれば、何より彼らの本書に対する熱意、それと誠意ある態度がうれしかった。

出版社が決まったことで、私は翻訳作業に神経を集中することができた。契約書、技術仕様書などの翻訳経験は豊富にあった私だが、小説は初めてである。それにただの小説ではない。TOCという新しい理論の日本への紹介である。私はその任務の重大さにずいぶんとプレッシャーを感じた。しかし数多くの人たちの協力を得て、なんとかその作業も終えることができた。特に今回この本を出版して下さるダイヤモンド社の御立英史氏、久我茂氏には多大な協力を頂き、心より感謝している。またダイヤモンド社を紹介してくださった大和総研の吉水弘行氏、ブリガムヤング大学のテリー・リー、クリスティー・シーライト、モンテ・スウェインの三教授、さらには株式会社エーアイシーの谷川敦洋会長、株式会社ピーティーアンドシーの前田健次郎社長にもずいぶんお世話になった。さらには技術的な用語の翻訳に関し、何度もアドバイスをしてくださった友人ドゥエイン・パルマー氏、また翻訳原稿の読み合わせにずっと付き合ってくれた妻の妙子には特に感謝したい。そして最後に、何よりノースリバー・プレス社のラリー・ガット氏、そして著者のエリヤフ・ゴールドラット博士に対しては、このような名著を日本に紹介するという機会を与えてくださったことに心より感謝申し上げたいと思う。
私が感じた感動を、この本を手にする読者一人ひとりと共有できればと願ってやまない。そしてゴールドラット博士の理念が、日本の産業界において貢献する姿を目にすることができれば、これほどうれしいことはない。
二〇〇一年 春
三本木 亮
*本原稿は、三本木教授のご好意により、『ザ・ゴール』訳者あとがきより引用させて頂いたものです。